2D-TPPを「1,2,3」で簡単に
二次元熱プロテオームプロファイリング(Two-Dimensional Thermal Proteome Profiling:2D-TPP)は、リガンドとの相互作用を検出するため、リガンド濃度に応じたプロテオームの熱安定性を解析する手法です。あるタンパク質の熱安定性がリガンド濃度に応じて変化する場合、そのリガンドとタンパク質との間に相互作用があると考えられます。リガンドには、薬剤、代謝物、その他の低分子化合物などが含まれます。またこの解析では、本来リガンドと相互作用するとは予想されていなかったタンパク質とのオフターゲット相互作用も検出できます。
このTPP法は、欧州分子生物学研究所(EMBL)およびCellzome GmbHにおいて、細胞熱シフトアッセイの原理と、TMTなどのレポーターイオンを用いた多重化タンパク質定量とを組み合わせることにより開発され、その後拡張されてきました。初期の論文では、プロテオミクス検索エンジンとしてMascot Serverが使用されていましたが、より最近の実装では、Mascot Serverの検索結果を直接取り込むことができません。そこで私たちは最近あるユーザーと協力し、Mascotの検索結果を現在の2D-TPPソフトウェアで解析できる形式に変換しながら改めて解析を行いました。
解析ソフトウェア 2D-TPP
TPPに関する論文では、isobarQuant によるアイソバリックレポーターイオンの定量、TPP と呼ばれるR 統計ライブラリ、そして Mascot Server を組み合わせてデータ解析が行われていました。現在でも isobarQuant ソフトウェアは入手可能ですが、現行バージョンのPythonで動作させるには若干の修正が必要となります。
その後TPPのRライブラリは二次元データに対応するTPP2D へと拡張され、現在では Bioconductor バイオインフォマティクスツール群の一部として提供されています。一方、isobarQuant は現在サポートが終了したとみられ、実質的に旧式のソフトウェアとなっています。さらに、Mascot Server はTMTレポーターイオンを直接定量できるため、isobarQuantを使用する必要はなくなっています。
データ解析は、コマンドラインから TPP2D と R を直接利用して行うことができます。コマンドラインでの操作に慣れていない場合は、TPP2D ライブラリをグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)から利用できるアプリケーション ProSAP を使用する方法もあります。
実験デザイン
実験デザインには、TMT標識を用いて1つの濃度系列と2つの温度条件を1つの多重化サンプル(multiplex)に組み込む方法と、1つの濃度について完全な温度系列を解析する方法の2通りがあります。それぞれの実験デザインの違いは以下の通りです。
| Multiple temperatures (Becher) | Single condition | |
|---|---|---|
| Channels encode | concentration series (+ 2 temps) | temperature series |
| Runs encode | temperature | concentration |
| Channels used / run | 8 of 10 (128C, 131N empty) | 10 of 10 |
| Runs to cover the design | 5 (× 1 replicate) | 4 (× 2 replicates) |
| Temperatures | 37.0–66.3 over 10 temperatures | 10 temperatures |
| Concentrations | 0, 0.05, 0.4, 3.2 - 4 conditions | 4 conditions |
| Reference channels / run | 2 (126 + 129N) | 1 (126) |
2種類の実験デザインでは、TMT10plexの各チャネルへの条件の割り当て方が異なります。 例えば、複数温度(Becher法の実験では、TMT標識は次のように割り付けられます。
| Channel | Temp °C | Concentration | Reference |
|---|---|---|---|
| 126 | 37.0 | 0 | ← ref |
| 127N | 37.0 | 0.05 | |
| 127C | 37.0 | 0.4 | |
| 128N | 37.0 | 3.2 | |
| 128C | — | unused | |
| 129N | 40.4 | 0 | ← ref |
| 129C | 40.4 | 0.05 | |
| 130N | 40.4 | 0.4 | |
| 130C | 40.4 | 3.2 | |
| 131N | — | unused |
PXD038312、Becher法による2D-TPP:1回のTMT10plex測定(S2629)について、1回の測定で2つの温度条件と4段階のリガンド濃度を組み合わせて解析します(TMT10チャネルのうち8チャネルを使用し、8つの中の2チャネルはリファレンスチャネルとして使用)。
データ解析
実験を実施してデータを取得したら、あとは通常のTMT定量データセットと同様に、Mascot Daemon を使用してバッチ処理で検索を実行します。この際、TMT定量法を指定して検索を行います。ピークリストにはレポーターイオンの強度情報が含まれているため、Mascot Server はペプチドおよびタンパク質の定量値を直接算出できます。定量結果は、Mascot Daemon の定量サマリー機能 を利用してCSVファイルとして出力することもできますし、スクリプトを用いて Mascot Server の検索結果から直接抽出することも可能です。
従来の「1つの多重化サンプルにつき2つの温度条件」という2D-TPP実験では、実験デザインとTMT標識の割り当てを記述したサンプルテーブルを作成する必要があり、具体的にはカンマ区切り(CSV形式)のシンプルなテキストファイルです。一方、「1つの多重化サンプルにつき1つの条件」という実験デザインならこのサンプルテーブルは必要ありません。このほかにも、JSON形式の設定ファイルをいくつか使用します。スクリプトはこれらの設定ファイルを参照し、Mascotから出力した定量結果をロング形式(long format)のCSVファイルへ変換します。ロング形式では、各行が1つの測定データに対応するようにデータが整理されるため、列数は少なく、行数は多くなります。同時に、データは通常37℃・リガンド無添加のコントロールチャネルを基準として正規化されます。そのため追加のデータ加工(データラングリング)を行うことなくそのままProSAP または TPP2D ライブラリで解析を開始できます。 私たちはこの解析用データを準備するために必要なスクリプトを公開しています。使用方法やサンプルデータは公開しているGitHub リポジトリで入手できます。ProSAP および TPP2D の解析結果を可視化するための別のスクリプトも置いています。これらを利用して、最も大きな変化を示すタンパク質や変化をほとんど示さないハウスキーピングタンパク質を見つけ出すプロットを作成できます。
解析例
変換スクリプトの開発および動作検証には、PRIDEプロジェクト PXD038312(Mateusら、Nature Microbiology、2023年)のデータセットを使用しました。このデータセットは、D-アルギニンを感知する Vibrio cholerae(コレラ菌)の走化性受容体を対象とした2D-TPPスクリーニングです。この実験では、4段階のD-アルギニン濃度(0、0.05、0.4、3.2 mM)と、10段階の温度条件(37.0~66.3 ℃)を組み合わせ、TMT10plex標識を用いて解析を行っています。2D-TPP解析の結果、著者らは3種類の走化性受容体、VC1313(受容体本体、MCP_DRK)、VC2161(Mlp24)、および VC1406 を同定しました。
ProSAP はダウンロードして利用できますが、正しく動作させるには特定のバージョンの R と複数の Rライブラリ が必要です。そのため、一方のRアプリケーションは最新版のRを要求し、別のアプリケーションは古いバージョンを要求するといった状況に陥りがちです。この問題を回避する方法としてRには rig という仕組みがあります(ただしWindows環境では、プログラムのインストールに管理者権限が必要な場合があり、rigを利用できないことがあります。)
そこで今回は、R-portable 環境を利用しました。Setup-CustomR コマンドを実行すると、R本体と、それに対応した必要なライブラリがインストールされます。
データの検索は、複数の Mascot Daemon タスクを使用して実行し、各分画の結果を1つの検索結果に統合しました。検索条件はオリジナルの論文で使用された設定に従っています。
ピーク抽出には Mascot Distiller を使用しました。TMTレポーターイオンは非常にピーク幅が狭いため、正しく検出できるようにピーク抽出条件の 「MS/MS Minimum peak width (Da)」 パラメータを 0.0005 まで小さく設定しました。
サンプルとTMTチャネルをそれぞれ対応するリガンド濃度および温度条件に対応付けるサンプルテーブルを作成しました。このサンプルテーブルも先ほどご紹介したリポジトリに含まれています。すべての Mascot Daemon タスクの処理が完了したら、定量結果は Mascot Daemon のQuantitation Summaryとしてエクスポートするか、検索結果のURLを mascot_to_tpp2d_input.py スクリプトに渡して取得できます。本記事で使用した各タスクのQuantitation Summaryは、リポジトリ内の example-data ディレクトリに置いています。ProSAP および TPP2D 用の入力ファイルを作成するには、daemon_to_tpp2d_2dplex.py スクリプトを実行します。
生成されたロング形式のCSVファイルを ProSAP に読み込み、2D-TPPデータを解析します。
解析が完了したら、解釈・評価のために2D-TPP解析結果を保存します。
リポジトリには、解析結果を視覚的に把握しやすくするための可視化スクリプトもいくつか用意されています。これらのスクリプトはカスタマイズ可能で、ラベルを付けるタンパク質やプロットの色などを自由に指定できます。ボルケーノプロットではリガンド濃度に応答するタンパク質が広い範囲に分布している様子が示されており、下図では論文で注目されたタンパク質を強調表示しています。
また、オリジナルの論文で同定された3種類の走化性受容体についての融解曲線(Melting Plot)では、期待通りにリガンド濃度依存的な熱安定化を示す特徴的なパターンが確認できます。
得られた解析結果はオリジナルの論文の結果と非常によく一致していました。
Mascotの検索結果を利用したいワークフローはありませんか?ご要望がありましたら、弊社までお気軽にご連絡ください。皆様のワークフローに合わせた活用方法をご提案・サポートいたします。
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